「足場」というイメージから想起されるもの
「足場」と耳にしてまず思い浮かぶのは「梯子」ではないでしょうか。
足場かけを「梯子をかける」と読み替えた場合、イメージされるのは、「すでに上にいる者が、下にいる者に向かって梯子をおろす」というような光景です。
この光景をセラピストとクライアントの会話に当てはめてみると、すでに治療的な会話の方向性を知っているセラピストが、その方向に進めるようにクライアントを導くというようなイメージになります。梯子は丈夫で、いったん梯子につかまることができれば、あとは登るだけです。
セラピストは、梯子を支えながら、上まで登れるようにクライアントを励まし続けます。ここにあるのは、「導く人」と「導かれる人」という構造です。これもひとつの治療的な関係ではあると考えますし、クライアントの状況によってはこのような関係性が救いとなるときもあるでしょう。
私の経験上、最初はこのような関係性を築くことで、クライアントが落ち着いて生活できるようになる、という事例はいくらでもあるように思います。「ここを登れば上にいける」という安心感が必要なときもあります。ただし、この「梯子型」の関係性は、一時的には効果的ですが、長期的にはクライアントの力を奪うリスクがあることを心に留めておかなくてはなりません。
ナラティヴ・セラピーの足場はボルダリングのイメージ
そこで、「足場」になるようなものが他にないだろうかと考えてみると、ちょうどパリ・オリンピックで見たばかりだったのもあって、ボルダリングの足場が思い浮かびました。ボルダリングの足場は、上からおろすことはできません。これをセラピストとクライアントの会話に置き換えてみると、きっと横並びで、お互いに声を掛け合いながら、上を目指していくのだと思うのです。
ボルダリングの足場はたくさんあり、ひとつずつ形や大きさが違っています。次はどれに足をかけようか、どの足場が安定感があるだろうかと、お互いの表情が見える距離で相談しながら上を目指していくイメージが浮かびました。
「ボルダリング型」の関係性は、ぐいっと引っ張ってもらえるような感覚は持てないかもしれません。でも、常に隣にはセラピストがいてくれて、ひとつひとつの足場を踏む感覚を一緒に確認しながら登っていけるのではないでしょうか。
「ちょっとこわい」「上まで行けそうもない」という声もかき消されることなく、同じ「こわさ」や「行けそうもない感じ」を一緒に体感してもらえる心強さがありそうです。
そして、上まで到達したとき、「確かに自分の力で登ってきた」という感覚を得られそうなのは、この「ボルダリング型」であるような気もします。
ナラティヴ・セラピーの文脈で使われる「足場かけ」は、どちらかといえば、この「ボルダリング型」であると思います。ひとつひとつの足場を踏む感覚を共有し、クライアントだけに登らせるのではなく、セラピストが隣にいて、一緒にこわさや苦しさを味わいながら登っていく。それが「足場かけ」に大切な姿勢であるように感じました。