ナラティヴ・セラピー

ナラティヴ・セラピーと外在化する会話②:外在化を足掛かりにして人とのつながりを見つける

ナラティヴ・セラピーと出会い、ナラティヴ・セラピーの文脈での「外在化」を知った私は、とにかくそれを使ってみたい、という衝動に駆られていました。外在化が目指す「人を責めない会話」というものにとても惹かれていたし、実践できるようになりたいと強く思っていたのです。

外在化をするには、「外在化するための耳慣れない表現」を使いこなす必要があります。ふだんはあまり使わないような言い回しを使うのです。私たちのふだんの言葉遣いは、その人の中にあるものとして話す表現があふれています。私たちが普段なにげなく当たり前としていることとして、心はその人の中にあるものだし、考えもその人の中から湧き出てくるもの、というのがあります。うつ病などの精神の疾患や発達障害の特性、またその人の性格なども、その人の中で起こっていることとして捉えています。

そのような「人の中にあるもの」と当たり前に考えていることを外に出していく(外在化)ので、普段の会話とは違う表現になってくるのです。

外在化には、言葉の使用上、特殊な頭の切り替えが必要です。
―アリス・モーガン『ナラティヴ・セラピーって何?』p34

外在化する会話法の即時的な価値は、カウンセラーの言葉遣いの微妙な変化というものが、クライアントとその人の抱える問題との分離を促進することである。その結果として、クライアントが自分自身や周辺の人に責めを負わせる傾向が徐々に弱まる。
―ジェラルド・モンク、ジョン・ウィンズレイド『ナラティヴ・アプローチの理論から実践まで 希望を掘りあてる考古学』p25

「問題の外在化」は、問題について話す際の、独特の言語的な形式に反映される姿勢を維持することを意味しています。そこでは、セラピーに持ち込まれた困難は、人に内在する性格や資質としてではなく、その人に「影響を与えるもの」として暗黙のうちに特徴づけられることになります。
―マーティン・ペイン『ナラティヴ・セラピー入門」p73

ナラティヴ・カウンセリングにおいては外在化する言葉遣いをすることのほうが外在化される問題を突き止めることよりも重要である。ここでの要点は、私たちは要約された外在化の生産を主張しているのではなく、外在化する会話法の過程を普及させたいのだ。
―ジェラルド・モンク、ジョン・ウィンズレイド『ナラティヴ・アプローチの理論から実践まで 希望を掘りあてる考古学』p邦訳90

具体的にどんな言葉づかいになってくるのか、文献から引用してみます。

・いつからそうした悪夢が姿を見せるようになったのですか?(「いつから悪夢を見始めたのですか?」と言うよりも)
・孤独は、人生のほとんどの期間、あなたと一緒にいたようですね。(「人生の大半あなたは孤独な人だったのですね」と言うよりも)
・つまり、自分自身に確信を与えるために、いつも確かめる儀式を使ってきたのですね?(「つまり、あなたは強迫性障害なのですね?」と言うよりも)
・アルコールは、あなたの人生を乗っ取ることにかなり成功してきたのですね。(「あなたはアルコール依存症だ」と言うよりも)
・あなたとジョウンは、嫉妬があなたがた二人の関係に侵入していることに気づきました。(「あなたとジョウンはお互いに嫉妬していました」と言うよりも)
―マーティン・ペイン『ナラティヴ・セラピー入門』p77~78

・その「力強さ」ってどこから来たんですか?
・その「力強さ」ってどういうものか、もう少し教えてくれませんか?
・その「力強さ」は、どういうときに力をあなたを救ってくれるものなんですか?
・その「力強さ」って。どういうときに力を発揮してくれて、あなたの窮地を救ってくれるんですか?
・その「力強さ」をもたらしてくれた、物とか人とかについて教えてもらえますか?
・その「力強さ」っていうものを気づいている人は周りに誰かいないんですか?
・周りの人は、その「力強さ」をどんなふうに気づいているか、想像ができますか?
―国重浩一『ナラティヴ・セラピー・ワークショップ Book1基礎知識と背景を知る』p185

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ここに例をあげてみて、付け加えたくなっていることがあります。

それは、外在化表現に限らず、ナラティヴ・セラピーは常に、人とのつながりや関係性を大切にみていくということです。『ナラティヴ・セラピー・ワークショップ Book2』の引用部分で言うと、
・その「力強さ」をもたらしてくれた、物とか人とかについて教えてもらえますか?
・その「力強さ」っていうものを気づいている人は周りに誰かいないんですか?
・周りの人は、その「力強さ」をどんなふうに気づいているか、想像ができますか?
の3つの質問は、会話の中に、クライアントを認証してくれる大切な誰かを招き入れることができる質問になっています。

私たちがふだんとっている行動や、大切にしている習慣、こまったときに拠り所にしている言葉などは、私たちがひとりでに思いついたり、私たちの心の中から自然と出てきたようなものではない、とする考え方です。その行動をとるようになったのはなぜか、その習慣を大切にするようになったのはなぜか、その言葉に励まされるようになったのはなぜか、と考えていくと、必ずそこには他者との関わりがあります。

その行動、習慣、言葉を、最初に授けてくれた人がいるはずなのです。ナラティヴ。セラピーは、外在化する表現を足掛かりとして、このような人とのつながりにスポットライトをあてていくのです。

それが何かであるためには、「補われること」、つまり少なくとも一人の他者が「それは何かである」と認めてくれることが必要である。自分で自らを補うこともできる。あなたは「せっかくあいさつしたのに」とひとりごとを言うかもしれない。しかしこれは、かつてあなたの行為をあいさつだと認めてくれた誰かいたという、過去の関係の産物なのである。
(中略)
私たち人間にとって意味のあることはすべて、このプロセスから生まれているのだと私は主張したい。私たちが、現実である/真実である/価値がある/善いと考えることはすべて、協働的な行為にその起源を見出すことができるのだ。
(中略)
私の行為は、過去の他者との会話から生まれ、そうした他者との会話が読者であるあなたとともにここでの会話を推し進めているのである。
―ケネス・J・ガーゲン『関係からはじまる』p56、p58、p64-65、

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野村 涼子

精神科訪問看護師として8年勤務し、2021年に公認心理師(国家資格)を取得。【カウンセリングルーム雨の庭】を開業し、カウンセラーとして活動中。スクールカウンセラーとしても勤務し、学校現場で不登校や発達障害・子どものトラウマなどと向き合っている。 ナラティヴ・セラピーを学び、カウンセリングの軸にしている。2024年8月、ニュージーランドのナラティヴ・セラピー・ワークショップに参加。 >>野村涼子のAmebaブログ

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