ナラティヴ・セラピー

ナラティヴ・セラピーと外在化する会話①:「人を責めない」ことで責任を引き受けられる

私がナラティヴ・セラピーと出会ったのは2021年秋ごろのことですが、実はそれ以前から「外在化」という言葉は知っていました。

私はもともと精神科の看護師をしていましたが、精神看護の分野においても、患者さんを困らせる症状や特性を外在化して会話をしてみよう、ということが提唱されていたのです。

そして、それは一定の効果があるものでした。私も実際に患者さんと会話していくときに、「症状や特性を外在化する」ということはよく行ってきた、という実感があります。

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「外在化」がとても大切にしていることに、「人を責めない」という理念があります。はじめてこの理念に出会ったとき、「こういう会話ができるようになりたい」と強く思ったのを覚えています。というのは、精神看護の現場で、どんなに最新の注意を払っても、自分の発する言葉に、ときに相手を責めるニュアンスがのってしまうことを避けられない、ということを痛感していたからです。「人を責めずに会話する」ことができたら、どんなに豊かにいろんな話ができるだろうか、と考えていました。

「人を責めない」ということがどのように表現されているのか、いくつか文献から引用してみます。

問題が人から離れた存在となったとき、そして人々が自分のアイデンティティについての窮屈な「真実」や自らの人生についてのネガティヴな「確信」から解放されたとき、人生の窮状に対処する行為において新しい選択肢が得られる。人のアイデンティティを問題のアイデンティティから分離することは、人々が遭遇している問題に対処する責任を放棄することにはならない。むしろ、分離されることで、人々はもっとこの責任を負えるようになる。
―マイケル・ホワイト『ナラティヴ実践地図』邦訳p27

そして、このことを私たちが言葉に反映するとき、どのようにしたら、相手を尊重し、相手を責めないようにすることができるのだろうか、というのが、ナラティヴ・セラピーにおける言葉の選択をめぐる本質的な問いかけなのです。
―国重浩一『ナラティヴ・セラピーの会話術』p43

ナラティヴ・セラピストがまず始めに興味を持って行うことは、人々が援助を求めている問題をその人のアイデンティティから切り離すことです。その結果、人々は、人やアイデンティティとは離れた位置から問題を語るようになります。これは、人を問題として見るのではなく、問題が問題であるという前提に基づいています。
外在化する会話は、ナラティヴ・セラピーでは常に行われています。外在化は、多くの(すべてではありませんが)ナラティヴな会話が作られる基礎となっています。外在化には、言葉の使用上、特殊な頭の切り替えが必要です。それは単なる技法ないし技術ではなく、会話における態度や方向性なのです。このことはとても重要です。
―アリス・モーガン『ナラティヴ・セラピーって何?』p34

「人を責めない」ということは、そのような表現をするための言葉遣いが大切なのは言うまでもありませんが、その土台となる「会話の態度や方向性」が重要である、というところに注目したいと思います。その「会話の態度や方向性」を実践するためには、常に「どのようにしたら、相手を尊重し、相手を責めないようにすることができるのだろうか」と自分自身に問いかけ続けることが必要になってきます。その意味で、「外在化する会話は、ナラティヴ・セラピーでは常に行われている」のだと考えられます。

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また、「人を責めない」ということが、「責任を放棄」させることにはつながらず、むしろ「人々はもっとこの責任を負えるようになる」というところも注目したいと思います。「人を責めない」というと、「ずべてを他人や社会のせいにする、他責思考ですか」という質問をいただくことがあります。

ですが、外在化がめざすところは「他責」ではありません。むしろ、本人が自分の意志で、目の前にある問題と関わろうとすることを後押しすることにつながるような感覚があります。外在化によって、社会やコミュニティの中で「そうならざるを得なかった」「このような問題を抱えざるを得なくなった」部分に焦点があたり、その構造が明らかになると、シンプルに自分と問題との関係を考えていける、そんなふうにも受け取れるような気がしています。

「人を責めない」ことと「責任を負えるようになる」ことに関しては、こちらの文献も興味深いので引用しておきます。

けれども不思議なことに、一度それらの行為を外在化し、自然現象のようにして捉える、すなわち免責すると、外在化された現象のメカニズムが次第に解明され、その結果、自分のしたことの責任を引き受けられるようになってくるのです。このことが、当事者研究によってわかってきた。とても不思なことですが、一度免責することによって、最終的にきちんと引責できるようになるのです。
―國分功一郎、熊谷晋一郎『<責任>の生成ー中動態と当事者研究』p43

 

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